2010/07/24

HT-03A(Android携帯)の画面キャプチャーが取れるようになりました。



やっと、HT-03Aの画面キャプチャーが取れるようになりました。

Windows7でのキャプチャーの取り方は、下記のサイトを参考にさせていただきました。


参考サイトの通りにPC側、HT-03A側を設定しても、ddms.batが起動せずに、なぜだろう、なぜだろうと考えていました。しかし、調べてみると、ただ単に、javaにpathが通っていないだけだとわかりました。javaのsdkはインストールしていたのですが、pathを通していなかったのが原因でした。いまだに、このような初歩的なところで、つまずいてガッカリ・・・

これから、いろいろなAndroidのアプリの画面キャプチャーが取れるので楽しみです。

2010/07/05

「みんな情報の家畜」北野武さんの山陽新聞でのコラムを読んで感じたこと



北野武さんのコラム「ここがおかしいニッポン」(山陽新聞 2010/07/03)の中に、最近思っていることを上手く表現されていると感じた箇所がありました。

「みんな情報の家畜」

最近、自分が情報を探しているのではなくて、情報に探させられているのではないかと思うことがあります。Twitterを利用すると、今までのインターネット利用方法で取得できる以上の情報量が瞬時に得られるようになりました。ただ、その情報を得ることが目的になっているんじゃないかと思えてくることがあります。情報は自分のものにして活用してからが情報ではないのかと。今は情報も使い捨ての感覚で、「あ、それ知ってる」で、終わりみたいになってしまっているような気がします。

北野武さんのコラムで、私の心に響いたのは下記の箇所です。

「今の人たちは情報を探しまくるんです。自分で追いかけるから、たどりついた情報は、すごい情報だと思ってしまう。 --- 広告代理店をはじめ、いろんなところが、次はここに行かないといけないよとか、流れをつくっていくわけですよ。それにみんな家畜のように檻から檻へと動かされている」

最近、もやもやと感じていたことを、具体的な文章にして見せてくれました。

ただし、情報が本当に早く欲しい場面もあり、そのような時には、情報が早く取得できることがありがたい場面はあると思います。たとえば、先日のソフトバンクの孫社長のツイートに対するフォローの内容

「ホームページよりアナウンスが早い・・・ RT .@masason 再発防止対策中です。大変ご迷惑をおかけ致しました。本当に申し訳ありません。RT 予備サーバーが復旧しました。」

システムトラブル時には、一刻も早い情報の提供が必要です。それは、利用するユーザーにとっても、提供するメーカー、ベンダーにとっても同様です。そのような時に、早く大多数の人へ情報を提供するのに適していたのはWebサイトだったと思います。しかし、Twitterは、その比ではない速さで、大多数に情報を提供できます。その速さを求めることは、至極当然のことだと思います。

これからも、Twitterやインターネットを利用した情報は一般社会に溢れかえっていくと思います。情報に埋もれて生活をしていくのがあたり前になるのでしょうが、情報の家畜になることなく、情報に対して主体性を持って対応をしていきたいと思っています。

2010/07/02

小学校の授業参観に行ってきました。先生の対応って難しいのだろうな と感じました。



先日の日曜に小学校の授業参観に行って来ました。日曜参観は、毎年この時期にあり、教室はむんむん蒸し暑いです。父兄の皆さんは暑そうにされていました。私は、何回目かになるので、うちわを持って行ってました。

授業は、国語の授業でした。「主語、述語、修飾語」があることを理解するのが、目的の授業でした。

最初に、先生が「私は」「書きました」と書かれている2枚の画用紙を黒板に貼りました。子どもたちに「この文、何かへんなところは無いかな?」と問いかけて、「私は書きました」を詳しくするには、どのような言葉を追加したらいいかを考えるように指示をしました。但し、「書く」という漢字を使っているので、「絵」とかではなく、文字や文章を書く場合のことを考えるようにと、注意を加えていました。

子どもたちは、それぞれ考えた文章を発表します。「私は字を書きました」 「私は手紙を書きました」等。さらに言葉を加えて、詳しくしてみようと考えさせて、「正月に私は手紙を書きました」「正月に私は友だちに手紙を書きました」のように詳しい文になっていきました。

先生は、生徒全員に発言をさせることに注意を払われているようで、発言していない子を探して、発言を求めていました。そんな中、1人の子が、「私は動物の絵を書きました」と発表をしました。当初、注意として話をしていた内容ですが、先生はその点の間違いは指摘しませんでした。他の子どもたちは「絵は違うー」とか言っています。先生は、そこで問題自体を「書きました」から「かきました」に変えようといって、変更をしました。子どもたちは「ぶーぶー」言っていますが、先生は「もう何も言わない!」と黙らせました。

先生は、どう思われて設問を変えられたのかは分かりません。子どもに親の前で恥をかかせないようにとの配慮なのか、モンスターペアレント対策なのかは分かりません。ただ、この話を他の人にした時に、「間違ったことは教えないといけないのでは・・・」という意見もあり、それももっともなのですが、現在の先生の対応として、何が正しいのかは、分からないような気がしました。自分が先生なら、どうしたでしょうか?

人気の投稿 (過去 30 日間)